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しぶや農園の志
2006.12.31
渋谷農園より、はじめまして

 みなさん、はじめまして。
 渋谷農園にて野菜づくりをしています、渋谷正和です。
 お忙しいところ、私たちのホームページをご覧いただき、ありがとうございます。
 
 父が、無農薬・無化学肥料栽培を始めて、早や30年以上−
 そのとき、多くの人に「無理だ」と言われながらもこの農法を始めるに至った「転機」から、しぶや農園の紹介を始めたいと思います。

家族が、人々が、安心して食べられる野菜を

 今から30年ほど前、妻のお腹に新しい命が宿っていることを知った父は、
 「これからは、家族や人々が健康に、安心して食べられる農業でなくてはならない」
と、無農薬・無化学肥料栽培を始める決心をしました。
 それから、畑には一切の「農薬」と「化学肥料」が姿を消しました。
 野菜が虫に食べられることもありましたが、その決意は変わらず、今日に至るまで、その志は守られて続けています。
 
自然とともに
家が農業であっただけでなく、「自然とともに生きる」農業であったことから、
家のまわりにはいつも豊かな自然があり、私は小さい頃から、草に寝転がったり、バッタやカブトムシと遊んだり、毎日が自然と触れ合う暮らしをしてきました。
 「豊かな自然と暮らす」ということは、私の生活の中で当たり前のことでした。
 今思えば、両親がその自然を守ってきてくれたからこそ、私はその当たり前の幸せを享受して暮らしてこられたのです。これは、本当に幸せなことであったと思います。
つながりを感じながら
 けれども実のところ私自身は、家業を継承するつもりは、頭の片隅にもありませんでした。
 そんな私が「家業を継ぐ」という方向に向かったのは、ひとつに、両親が頑張って、私を私立の大学に通わせてくれたことがきっかけでした。
 父は学ぶのが好きだったようで、昼間は農業をして疲れていても、夜は夜間の大学に通っていたほどでした。
 そのため、「子どもたちが学びたいと望むのであれば、その望みは叶えてやりたい」と思ってくれていたようで、私は労せず、大学で学ぶことができました。
 「大学で学ぶ」といっても、私が学んだのは農学ではなく、「コミュニティ論」でした。
 大学を経て私がたどり着いたのは、実はシンプルな答え。
「“つながりを感じながら生きる”ということが、何よりの幸せ」
どんなに辛いことがあっても、家族が、友人が、地域の人々がいることで乗り越えられてきた経験から気付いたのは、つながりの中で支えられている自分の姿だったのです。
 そして大学卒業後、「人と人とがつながりあう場所をつくりたい」という思いから、家の農地の一角を借りて、その頃知り合った仲間たちとともに、循環型農業と健康食を通じて、「つながりあう場所づくり」を始めたのです。
 これが、ことのほか面白かった!
 そしてこれが、私が両親を同じ視点の農業を始めるきっかけとなりました。
 今私たちが取り組むのは、農薬を使わず、堆肥や自然の有機肥料を使う、父が行ってきた無農薬・無化学肥料栽培と、さらに有機肥料も一切使わない野菜作りです。
 肥料を与えて育てるのがすべてではなく、野菜たちが栄養分を自分の根で探して取りにゆき、野菜のもつ力を存分に発揮したものが、野菜本来の姿であり、味であると私は思います。
 そうした想いに至ったのは、病気の母(一昨年死去)に、「いい野菜を食べさせたい」という思いを突き詰めていった末でした。
 今思い返せば、父も私も、農業に対する志を強く持つようになったきっかけは、母の存在でした。
1に喧嘩、2に喧嘩、3、4で忘れて、5に仲直り
 私自身、この農法に取り組んで日が浅く、栽培方法はまだ試行錯誤の段階で自分のものとして技術が確立されていないので、失敗することも少なくありません。
 それでも私がこだわるので、父は心配し、あれやこれや口を出さずにはいられないようです。
 売り言葉に買い言葉、親子喧嘩も絶えないので、農園に手伝いにきてくれる友人たちは、その光景を傍から見て心配しているようですが、長い付き合いの方々はもう結果がわかっています。どんなに喧嘩していても、夕方にはケロリと仲直りしているのですから。
 そんなにすぐに和解できるのも、少しでも健康で安心して食べられる野菜を育てたい、という想いを共有しているからでしょうか。
 「失敗を重ねても、たどり着きたいところがあるんだ」と言い返す私を、父は結局のところ、深いところで受け止めてくれているように思います。
父へ
 こうして、それこそ毎日のように絶えず喧嘩している私たちですが、私は父に感謝していることがあります。
 それは30年前、無農薬・無化学肥料の農法でやっていこうと決めた父の志です。
 それ以来、“畑”を耕し守り、私につなげてくれたこと。
 だからこそ私は、今こうして自分の目指すものへ一歩近付いていけるのです。
次代の子どもたちへ
 父をはじめ、私の家族や先祖の人々がしてきたように、私も子どもたちへ「つなげてゆきたい」。
 子どもの頃、自然に囲まれて暮らしてこれた“畑”、そして安心して食べられる野菜を育てることができる“畑”を。
 そんな想いで、私は今日も、畑に向かっています。